― 春夏秋冬(1) ― 


慌しく、夫婦が家を出ていく。
時計の針は、夜八時二十二分を指している。
母親はハンカチで目を覆いながら、父親がエンジンをかけて待っている車の助手席に乗り込んだ。
「芙由・・・まだ逝かないで・・・」
車の中で、母親は泣きながら呟いた。
「もうあんな思いはたくさん・・・」

美穂、亮一、慎太郎は、ぼんやりと向江川の河川敷を歩いていた。
春はもうすぐだというのに、今夜はかなり気温が下がっている。
そのせいか、随分星が綺麗に見える。
三人の吐く息はもちろん白い。
川からの風が冷たかったが、それでも三人の歩みはゆっくりだ。
「信じらんないなぁ・・・」
ポケットに手を入れ、小石を蹴りながら歩いていた慎太郎が言う。
「芙由、朝はあんなに元気だったのにな。交通事故なんて」
すんっ、と美穂が鼻を鳴らした。
泣き腫らした目をしている。
「大丈夫だよ、美穂。芙由、きっと元気になるよ」
三人の中で一番背が高い亮一が、美穂の横に並んで、頭を撫でた。
「だって、芙由・・・、意識なかったし、点滴もしてたし・・・、チューブとかコードとかいっぱいだったもん・・・。今夜が山だって、おばさんも言ってたじゃない・・・」
芙由の両親との会話を思い出したのか、美穂の目にはまた涙が溢れてくる。
ハンカチで、ごしごしと乱暴に目をこすった。
「今夜を越せば、明日にはいい知らせが届くかもしれないだろ?」
亮一の言葉が空しく響いた。
あんな姿を見た後で、それが慰めにならない事は分かっていた。
「・・・二人は、芙由とは十年近い友達だもんな。俺よりショックでかいよな・・・」
呟いた慎太郎も美穂の横に並んで、元気付けるように、ぽんぽんと肩を軽く叩いた。
「芙由がそんなに簡単にくたばるわけないじゃん。芙由、悪運強いし。な、亮一」
「そうだよ。大丈夫」
二人とも最悪の事態が起こる可能性を否定しきれてはいなかった。
それでも、芙由の無事を信じていたかった。
「・・・うん・・・。大丈夫だよね・・・、芙由・・・」
美穂もそれを分かっていたから、そう返事をした。
それでも、三人の中に流れる空気は変わらなかった。
ほとんど無言のまま歩いていると、前方に人影が見えた。
「あれ・・・子供?」
亮一が首をかしげた。
その人影は、亮一の半分ぐらいの背丈しかなかった。
「まさか。だってもうすぐ十二時だろ?」
慎太郎が美穂の腕時計を覗き込んだ。
三人は不思議に思いながら、その人影に近づいて行った。

子供が一人、土手に立って、空を見上げていた。
暗くて顔は良く見えないが、年の頃は小学校低学年、といったところか。
冬にも関わらず、半袖のシャツと短いスカート姿だ。
三人はその姿を見て、驚いて駆け寄った。
「大丈夫?迷子なの?寒いでしょ?」
美穂は自分のマフラーを取り、少女の肩に被せた。
少女が不思議そうに三人を見上げる。
「・・・芙由・・・?」
亮一が呟いた。
言われて、その顔をよく覗き込む美穂と慎太郎。
「・・・ホントだ・・・芙由の小さい頃そっくり・・・」
「でもさ、世の中には三人、顔の似た人がいるって言うし」
慎太郎は芙由と知り合ったのが高校に入ってからなので、美穂と亮一がどれほど驚いたか、よく分からなかった。
「あ・・・みほちゃんだ」
不思議そうな顔をしていた少女は、美穂の顔を見るとにこっと笑って、美穂に抱き付いた。
「みほちゃん、ひさしぶり」
美穂は驚いて、目をぱちくりさせた。
「ちょ、ちょっと待って。えーっと・・・、どこかで会ったかな?」
美穂がそう言うと、少女は美穂から離れた。
そして、信じられないといった感じで目を大きく開き、しばらく美穂を見つめていた。
「・・・みほちゃん、わすれちゃったの・・・?」
そう言うと、悲しげな顔をしたまま、俯いてしまった。
「そっか・・・、やっぱりみんなわすれちゃうんだ・・・」
「あーあ、美穂、泣かせちゃったなー」
慎太郎が茶化したので、美穂は慎太郎をじろりと睨んだ。
「えっと・・・お名前、なんて言ったっけ?」
美穂は、少女の前に回りこんで、顔を覗き込んだ。
少女の目には涙が浮かんでいる。
「あたし・・・なつだよ。みほちゃん」
そう言われて、しばらく美穂は考え込んだ。
そもそもこんな小さな子供に、知り合いがいたかどうか。
「・・・なつ・・・、奈津?」
亮一が何か思いついたらしい。
美穂の横に歩いてきて、少女の顔をもう一度良く見た。
「・・・芙由の・・・双子の妹の名前が、奈津、だったかな」
そう言われて、美穂ははっと息を呑んだ。
「は?芙由って、一人っ子じゃなかったっけ?」
慎太郎だけが、よく事の経緯が分かっていない。
「違うの・・・。芙由・・・、双子だったのよ。でも、事故で亡くなって・・・」
「小学校二年生の夏の終わり頃だったかな、事故にあったのは。
 俺はほとんど遊んだ事はないんだけど」
二人がそう説明すると、慎太郎はますます首をかしげた。
そして、俯いていた少女がやっと顔をあげた。
「うん、りょういちくんとは、いっかいしかあそんだことないよ、あたし。でもね、みほちゃんとはなんかいもあそんだよ。ここで」
美穂と亮一は、お互い顔を見合わせた。
記憶と一致する。
美穂が子供の頃によく遊んだのは、この河川敷、しかもちょうど今立ち止まっている辺りだ。
「ちょっと待ってくれよ。この子、その妹の奈津って子だってのか?亡くなったんだろ?それに、もう何年も前のことなんだろ?幽霊だってのか?」
信じられない、といった顔で慎太郎はまくし立てた。
「だって、この子が芙由じゃないなら、なっちゃんだとしか考えられないよ・・・」
そう答えた美穂も混乱していて、頭を抱えている。
亮一も難しい顔をしたままだ。
「お前、芙由じゃないんだよな?」
確認のため、慎太郎は少女に尋ねると、少女は大きく肯いた。
「ふゆじゃないよ。なつだよ。あたし、なつだよ、おにいちゃん」
じゃあやっぱり、この子は幽霊って事か?
ますます訳が分からなくなって、慎太郎はしゃがみこんだ。
「ねえ、なっちゃん、なっちゃんは、どうしてここにいるの?」
意を決したように、美穂は少女に向かって尋ねた。
死んだ人間が帰って来るなんて、一体何の目的があるのか、美穂はもちろん、慎太郎と亮一も、皆目見当がつかない。
問われて、少女は無邪気な笑顔を向け、言った。
「んとね、なつ、ふゆ、むかえにきたの」


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